2015年08月03日

命がけの伝言 大河ドラマ『花燃ゆ』感想 または、死者の思いを生者が継ぐことについて

今までの主要人物の8−9割が命を落とすという、異常な大河ドラマ『花燃ゆ」です。
花燃ゆというタイトルがぴったりですね。花が燃える。なかなかいいタイトル。

昨日は、幕府恭順派の椋梨が権力を握り、小田村の兄を斬首するという怖い展開で、小田村自信も斬首というところで、牢屋の番人が気を利かせて、延期したところで、高杉晋作挙兵みたいな、ビジュアル系の会でした。よくできたドラマじゃ。というのも、その前に、みわが、先輩に椋梨に毒を盛れという罠をかわしている(毒を盛るという情報は椋梨に伝えている)し、その後の、みわの小田村を助けて、という椋梨への直訴が、感情にも訴える展開のあとの、つまり、小田村の斬首はもう避けられないかという展開からのばーん、高杉晋作が挙兵です。かっこ良すぎる。

小田村は明治時代も生き残るというのは、前にも最後のコーナーでやってたから、少しつまらない。だいぶつまらないが、高杉晋作はほとんどいない生き残り、というか、松下村塾の、主要なメンバーでただ一人生き残りで、吉田松陰、久坂玄瑞らの気持ちを継いでいるという意味では、死者がそのまま復活してしまう映画よりも高度なドラマだと思う。

大河ドラマ『花燃ゆ』は志に関するドラマだし、継承や引き継ぎに関するドラマだし、死に関するドラマだし、死者に関するドラマだ。

死者の思いを継ぎ、生者はまた死者になっていく。

それは、当時の松下村塾の塾生や幕末の武士だけでなく、現代でも言えることではないか。
当時の武士は、何かを成し遂げることが大事だった。椋梨は、家の存続こそが第一目的だが、松下村塾のメンバーは違う。日本を守ることだった。若干それは、肉体を伴わぬ、思念的にも思えるが、それがこのあと、日本を変えるのであれば、それは結果的には思考の暴走ではなかったと言えるのだろうか。

ぼくは、この前の回で、おはぎをみわが作る回で感心した。人間というのはこうつながるのか。吉田松陰に作ったおはぎを、毛利家嫡男の妻が食べている。こういった、関係性、とても薄い関係性であっても関係である。こういった関係性のもとに、ぼくらは生きている。繋がっていないわけではない。現代でも、そうだ。志を継ぐだけが繋がりではない。親子や兄弟だけが繋がりではない。そう思えた。

posted by 大河ドラマ『真田丸』感想を主に書くブログ at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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