2014年01月05日

『かぐや姫の物語』の物語について



たくさん、その映画について作文できるってことは、その映画はいい映画(自分にとって)だと思う。

で、『かぐや姫の物語』は
その物語は、男が馬鹿にされる物語だった。

竹取の翁であり、求婚する5人の貴公子であり、捨て丸でさえも、おろかな男として描かれた(よね?)。

竹取の翁は、かぐや姫を姫にすることしか考えず、姫のことは考えない。
貴公子たちは、美しさのみを目的とした、軽薄なものたちだ。
捨て丸は、妻子があってもかぐや姫との仲を妄想し、現実に引き戻される浮気ものである。

あ、よく考えると、かぐや姫も都の暮らしにいっときは、浮かれる愚か者である。

高畑監督が厳しいのは、貴公子の最後の一人は、かぐや姫のために、ツバメの子安貝(だっけ?)を手に入れようとして、命を落とす。普通の子供向けの映画だったら、殺さない。力を緩めない。
そして、かぐや姫の名づけの宴でも、ほかの貴族たちは、かぐや姫の美貌を拝もうとして、慣例を破ろうとして、どうせ偽者の姫なのだから、とつい心無い本音を言う。かぐや姫は怒って、走っていくが、ここには、差別的意識とそれへの怒りという激しいものがあった。
これらを描く高畑監督はやはり厳しいし、だからよくある子ども向けじゃない。

映画『風たちぬ』でも、宮崎監督も性的な描写を積極的に行ったので、ジブリを見ているぼくとしてはどきどきする。

おじいさんたちは、もう性的な描写、あるいは差別、暴力を描かなかればならないと思っているんじゃないだろうか。

脱線した。

この映画の登場人物たちは、どこかおろかで、こっけいな人たちだ。

それが、ユーモアにもなっている。映画にはやはり笑いやユーモアが必要ではないか。2時間以上笑いがなく、まじめな映画では、平面的で、退屈な気がする。良質な映画にはユーモアがある。その点、映画『永遠の0』は、ひどく平面的な抑揚のない印象を受けるのではないか。緩急が必要ではないか。

という意味では、宮崎駿の映画『風たちぬ』のほうが、抑揚があり、懐が深い、というか、広がりがあるように思う。ぼくは『風たちぬ』について、文章を一個しか書かなかったけど、『かぐや姫の物語』は一週間連続で書けるように思えた。ずいぶん感想は忘れてしまったけど。

ぼくはこっけいなこの世界にも真実があると思っていて、最後のシーンなんかは非常に美しい絵になるシーンだとおもった。

興味があるのは、原作の『竹取物語』である。これほど主に男をおろかに描けるのは、女性の作者ではないか、ということである。男なんてこんなもんよ、っていう作者が感じられる。合作かもしれなが、ぼくは原作は女性の作品だと思う。作者はだれなんだろう。

江戸時代の国文学者・加納諸平は『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄る5人の貴公子が、『公卿補任』の文武天皇5年(701年)に記されている公卿にそっくりだと指摘した。しかし物語中の4人の貴公子まではその実在の公卿4人を連想されるものの、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子は、最後のひとり藤原不比等がまるで似ていないことにも触れている。だが、これは反対であるがゆえに不比等本人ではないかと推測する見方もでき、表向きには言えないがゆえに、車持皇子を「卑怯である」と書くことによって陰に藤原氏への悪口を含ませ、藤原氏を批判しようとする作者の意図がその文章の背後に見えるとする意見もある[8]。
歴史によれば藤原氏は8世紀、権力の掌握を目的に多くの政敵に血の粛清を加えて「藤原氏だけが栄える世」を構築し、藤原氏批判の書を焼き捨てる等の政策を繰り返したが、その中で表立っての藤原氏批判などが出来ようはずもなく、同時代に成立したと考えられる『竹取物語』という物語の中に様々な工夫を凝らして藤原氏に対する批判が込められていたとしても不思議なことではない。
最近の研究では作者は紀貫之である可能性が高く、文才があり時代的にも合い、藤原氏に恨みを持つ要因を持っているゆえに有力視されている。紀氏は応天門の変(貞観8年、866年)により平安時代初期に一躍頭角を現したが藤原氏の謀略により失脚し、以後政界から遠ざかり文人の道へと進んだ経緯があり、それがゆえに藤原氏に対して恨みを持っていた可能性は否定できない。
また、中国、インド、中東等にしかない難題が題材とされている点や、それに文才があり時代的にも藤原氏を批判的に描くことのできる立場であるとして、聖職者の空海も有力視されている[5]。 
作中に月からの使いからもたらされた不老不死の薬のくだりがあるが、帝が「かぐや姫がいないこの世で永遠の命が必要であるか」と薬を富士の山の火口で焼く一幕について、皇室も藤原氏に利用される存在でしかないという帝の嘆きとは取らず、天人がかぐや姫を迎えに来る際、「穢き所」と地上を評する一文があることから、藤原氏により支配されてしまった世を嘆いている作者の言葉と見る向きもある。
作中に登場する「天の羽衣」について、かぐや姫が「羽衣を着てしまうと、人の心が消えてしまう」と語り、人間を何がしか別種の存在へと変化させるのが「天の羽衣」の力であることを示唆する場面があるが、皇室にも天皇の即位後に行う大嘗祭で、沐浴時に「天の羽衣」を着る儀礼習慣がある。


竹取物語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E

なるほど、藤原氏を批判するパロディという意見。これもそうかもしれない。竹取物語は一筋縄ではなかないお話だと思う。懐が深いというか。作者は相当な才能があると思う。

なにを書こうとしていたのか、ぼくは。そうだ、なんだ滑稽で面白い話だったが、絵もいいよ、って話だ。

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posted by 大河ドラマ『真田丸』感想を主に書くブログ at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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