2015年05月18日

大河ドラマ『花燃ゆ』は青春ドラマだが、モヤモヤする理由

大河ドラマ『花燃ゆ』の
『松蔭、復活』の意味は、藩主も松蔭の生前の言葉が聞きたいと言い、
松蔭の罪が許され、松蔭の志を継ぐ若者たちが藩の実権と持ちはじめ、
子どもたちも松蔭の書を読み始める、という意味。

復活、というと、言い過ぎの気がするが、
死者が、言葉という形で、生者に語りかけることは可能だという話。
その話は、なんだか嬉しくなる話だった。
脱線すると、高橋源一郎の『ニッポンの小説』によると、
戦後、生者は死者の声が聞こえるといって、
死者の声を間違って代弁してきたのではないか、という説だった。

ところで、『花燃ゆ』の違和感は、
やはり攘夷論者の長州藩が主であり、その方法が
外国人を武力で追い払うことにある。

先週は、魚屋が、幕府寄りの藩の家老に斬りかかった。
今週は、主要な人物が、イギリス公使館に放火。

今の時代でいうテロ行為。
今の時代では、よくない行為とされているため、人物たちに感情移入できない。

ドラマ中で、長州藩はそのときの価値観で、主要な人物が、盛り上がっている。
もちろん、それでいいのだが、
その価値観は、現代と異なるため、盛り上がっていても、
視聴者は、その志に合意できない。

吉田松陰も、攘夷論者だったように描かれたので、
その知の限界を感じてしまう。
このドラマは、攘夷から倒幕、明治維新に進むので、
このもやもやは解消されるだろう。
時代の流れのなかで、進む道が決まっていく。

だけど、しばらくは、モヤモヤしたまま、熱い(ように描かれた)ドラマが
続く。
感情移入できない視聴者はほかにもいるだろう。
しかし、そのモヤモヤのなかで、このドラマが熱く進行していけば、
見たことの無い味わいがある、のではないか。

そういった複雑な感情はあまり描かれることはなかったのである。

『龍馬伝』では、その龍馬の描いた構想は、民主主義や男女平等など、
今の時代と似た価値観だった。だから、さわやかに感じた。
そういえば、土曜日のテレビで、薩長同盟の場に龍馬がいなかったことや、
薩長同盟の文書が残っていないことなど、やっていた。
龍馬もつくられたキャラクターらしい。
『龍馬伝』の龍馬はすごい人だなあ、と思ったものだが、
後世の想像力かもしれない。
posted by 大河ドラマ『真田丸』感想を主に書くブログ at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

今井雅之さんの大腸がんの会見をみた感想、あるいは、僕らの人生はモノになること

今井雅之という俳優は何となく知っていた。出演作は知らなかった。
Wikipediaを調べると、映画『彼女が水着に着替えたら』や『静かな生活』に出演だとのこと。

会見をみた感想として、下のyoutubeの感想欄に医者の発見が遅れた、医者がひどい、などとあるが、ぼくは別のことを考えていた。



今井雅之は会見の中で、演劇『THE WINDS OF GOD』について多く述べている。Wikipediaから引用する。

THE WINDS OF GOD(今井雅之脚本・演出・主演) - 平成3年度文化庁芸術祭賞(原作・脚本・演技)受賞
1988年に初演から数十回にわたり再演をしており、海外(ニューヨーク、ロンドン、ハワイ)での公演も高い評価を得ている。2005年は今井雅之主演の舞台、DonDokoDonの山口智充とV6の森田剛出演によるテレビドラマ、ハリウッドで全編英語脚本・日本人キャスト・スタッフによる映画制作がされている。


今井雅之 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E9%9B%85%E4%B9%8B

『THE WINDS OF GOD』は、今井雅之の代表作と理解した。
テレビや演劇等の出演のなかで、唯一、繰り返しているからだ。

そして、がんと闘う今でも、出演を願う。
末期がんということは、今は、残り時間が意識されている時だろう。残り時間を何に使うか、何をすべきか一番考える時期だ。

実現はしていないが、選んだのが『THE WINDS OF GOD』。
残り時間を『THE WINDS OF GOD』のために使いたい。
『THE WINDS OF GOD』を演じるために使いたい。

実現すれば、残りの人生は過ぎ、『THE WINDS OF GOD』が残る。
つまり、人生は、『THE WINDS OF GOD』に変換される。

これは残り時間が強く意識された人だけじゃなくて、一般の人でもそうだろう。
有限な人生は過ぎていき、無くなり、ぼくらの生きた痕跡だけが残る。

それは、仕事かもしれないし、遊びかもしれない。
その痕跡は、文章、設計図、動画、写真かもしれない。

今井雅之の場合は、演劇『THE WINDS OF GOD』の上演だ。
それは、映像として残るし、観衆の記憶に残る。

今井雅之の会見をみて、
ぼくらの人生は、人間の人生が、あるいは、人間が、モノに変換されていく過程なのだ、
と感じた。

そういえば、フリスビーの発明者は、死後フリスビーになったんだっけ?(笑

遺族は遺言を実行し、ヘドリックの遺灰とプラスチックを混ぜ、遺灰入りのフリスビーが1000枚作られました。
2枚セットで200ドルという値段に関わらず、あっという間に売れてしまったんだそうですよw

フリスビーの裏話w - 素敵な人生(にゃんこ先生がお届け)
http://sutekiniikiru123.blog.fc2.com/blog-entry-189.html?sp

さて、ぼくは、どんなモノになろうか?


posted by 大河ドラマ『真田丸』感想を主に書くブログ at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
\